2018年11月の投稿

尼崎の歴史物語 第10回「尼崎の醤油」

尼崎の歴史_10
 「醤油発祥の地は尼崎である」と言うと驚く方も多いと思います。醤油の発祥地については諸説ありますが,和歌山県の湯浅であると言われることが一般的なようです。湯浅で作られていた醤油はいわゆる溜まり醤油であり,味噌を製造する際にできる液体のことを指します。

 これに対して現在一般に使われている醤油は溜まり醤油と対比して本格醤油と呼ばれることもあり,製法や原料が大きく異なります。本格醤油の製造には,酒造技術を応用した麹の製造技術や強力な圧搾装置が必要だったということです。原料の違いとしては,溜まり醤油は大豆から作られるのに対して,本格醤油の原料は大豆と小麦がほぼ同量使われています。

 江戸時代の酒造技術は伊丹・池田の酒造家が牽引しており,伊丹・池田から江戸へ運ばれた清酒は年間64万樽にも達したことがあったようです。酒造先進の地である伊丹の酒造家が,交通の便に優れた尼崎の地に酒と醤油を作る蔵を建て,酒造技術を応用して本格醤油の製造を開始したということです。

 その後,尼崎の醤油は名産品としての地位を確立し,明治時代には海外にも輸出されていたそうです。この歴史は,第二次世界大戦の影響により醤油原料が統制されたため,昭和17年に惜しくも途絶えてしまいました。しかしながら,昭和60年に当時の製法を再現して「尼ノ生揚醤油」が復活し,現在も販売が継続されています(製造は龍野で行われています)。

参考:大阪春秋58号


尼崎の歴史物語 第9回「田能遺跡」

尼崎の歴史09
弥生時代の人々の生活についてはまだまだ未知の部分が多くあります。
人々の生活でもとりわけ重要な葬儀の方法について,ここ尼崎で重要な発見がありました。

田能遺跡の存在自体は尼崎市に在住の方であればご存知の方も多いと思います。田能遺跡で発見されたお墓によって,弥生時代のお墓に木材が使用されていたことが証明されたのです。

田能遺跡からは他にも,近畿地方で初めてとなる銅剣の鋳型も発見されました。鋳型が発見されたということは,この場所で,当時としては高度な技術が必要となる青銅器の鋳造が行われていたことを示唆しています。

また,石川県産の碧玉を用いた管玉が大量に発見されたり,貴重な白銅製の腕輪をつけて埋葬されている人が見つかったことから,田能遺跡はとても豊かな集落だったこともわかります。
現在田能遺跡は公園として整備されており,復元された竪穴式住居の中に入ったり,資料館の各種展示を見ることで弥生時代の生活に思いをはせることもできるようになっています。
(取材先:尼崎市立田能資料館)