尼崎の歴史物語 第4回「尼崎市の市外局番」

尼崎の歴史 尼崎市の市外局番

尼崎市の市外局番は06で大阪と同じとなっています。
兵庫県の他の自治体は07から始まる市外局番なのになぜ尼崎市だけ06なのでしょうか。
06になったのは尼崎市にあった世界最大級の紡績会社,尼崎紡績(現ユニチカ株式会社)が理由と言われています。
尼崎紡績の工場が建設されたのは1889年(明治22年)ですが,1893年(明治26年)に大阪電話交換局が開設された際に,尼崎紡績が費用を負担して大阪から尼崎市の工場まで電話線を引き,尼崎紡績に電話を通しました。

尼崎紡績が電話線を大阪電話交換局から尼崎市まで引いたことで,市外局番が大阪と同じ06になったということです。
尼崎紡績の本社事務所として用いられた建物は1900年(明治33年)に竣工しましたが,尼崎市に現存する最古の洋風建築として尼崎紡績の繁栄の歴史を今に伝えています。
本社事務所はユニチカ記念館として毎週水曜日に一般公開されており,尼崎市の建物としては最も早く兵庫県から景観形成重要建造物として指定されました。
(取材先:ユニチカ記念館)


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