尼崎の歴史物語 第11回「尼崎の寺町」

尼崎の歴史11

阪神尼崎駅の南側には寺町と呼ばれる地域が広がっています。現在も11の寺院があるこの地域は,尼崎城が築城された際に形成されました。寺町が形成された当初は20もの寺院が存在していたことが古図から確認されています。
400年以上経った今も城下町の寺町の景観がこれほどよく残されているところは数少ないとも指摘されているこの地域は、尼崎市都市美形成条例によって景観の保全が図られています。

寺町は、尼崎城の築城によって移転することとなったお寺や、周辺に存在した多くの寺院を一カ所にまとめることで形成されました。尼崎城の城下町は、東・南・西に侍屋敷が配置されており、西方北側に寺町が形成されました。

寺町が西方北側に配置されたのは、西国への備えとしての意味がありました。このような意味合いで形成された寺町は、大阪城の北西側や聚楽第の東側にも見られます。一遍上人遊行の地でもある尼崎には時宗の寺院が四ヶ寺もあったことも特徴です。
尼崎の寺町の建設は、それまでにあった墓地を利用しており、田畑を潰して形成されていたのではないと考えられているようです。

参考:大阪春秋58号


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