学問の神様として知られる菅原道真公は、早くからその才能を見込まれて出世しましたが他の貴族からの嫉妬も受けることとなり、901年(昌泰の変)により現在の福岡県にある太宰府(現在の福岡県太宰府市)に左遷されました。
道真公は、自宅の梅に別れを告げて舟で淀川を下り任地へと向かいましたが、道中で様々な足跡を残しています。大阪の淡路という地名は、当時中州だった淡路のあたりを見た道真公が淡路島と勘違いしたことに由来することはよく知られているとおりです。
淀川を下り瀬戸内海を出た道真公は、尼崎の沿岸をとおり、ある風景に感動し舟を止めて上陸されたそうです。「ここは殊のほかのよき浦なり松は琴柱の並びたるが如し」とおっしゃったそうです。2013年に開校した琴ノ浦高等学校は道真の故事に由来する校名です。
琴柱とはことじと読み、琴の胴の上に立てて弦を支える部分のことです。海岸に立ち並ぶ松を琴柱に見立てて賛美した道真公の洞察力は、まさに学問の神様と讃えるにふさわしいものです。
道真公もとおったように、尼崎は古くから交通の要衝として栄えており、その痕跡は弥生時代の遺跡から出土した遺物からも明らかとなっています。弥生時代の尼崎の姿は次回以降の更新でお伝えしたいと思います。
(参照 尼崎えびす神社ホームページ:https://www.amaebisu.com/about.php)