弥生時代の尼崎には当時日本差大規模の巨大神殿が建っていたかもしれません。
この巨大神殿の痕跡が発見されたのは平成8年のことでした。平成7年1月17日に発生した阪神淡路大震災の復興事業に先立つ調査で、武庫庄(むこのしょう)遺跡から、直径50cmを越す柱や、80cm以上の巨木を使った棟持柱が発見されたのです。
それまで、弥生時代における国内最大規模の建物は大阪府南部の池上・曽根遺跡の高床式建物であると考えられていました。
ところが、この調査で発見された建物の柱の規模・柱の間隔等は、池上・曽根遺跡のそれをはるかに上回る規模の数値だったのです。
この建物はその特殊な構造からすると祭式・儀礼に使われていた建物であった可能性が高いとされており、弥生時代の尼崎には当時日本最大の神殿が建っていた可能性があるのです。
弥生時代の尼崎にはこのような巨大な建物を建てられるだけの権力が存在し、繁栄していたことになります。
(参照:図説尼崎の歴史 上巻)